東京麦酒紀行 ボクソン工業編
2015年11月13日 | 09:46 | カテゴリ:ビールスタンド重富
朝いちばんで 酒屋の全国組織である 全国酒販協同組合連合会さんに
挨拶して、いくつか質問事項をさせていただき・・・
次は 何度も伺っている ボクソン工業さんに向かいます。
小高い丘?山 の 反対側に降りて
中目黒の駅を目指します
途中 サラリーマン時代にお世話になった酒屋さんが 中目黒にあるのを思い出し
訪問することに・・・ 記憶を頼りに 探したのですが 見当たらず
ご近所の方に伺うと 改装ちゅう とのことで
ご挨拶できませんでした (残念)
夜討ち朝駆け で 仕事を していた 新入社員時代を 思い出します(笑)
東横線に乗車し 2つめ かな 学芸大で下車し
歩きなれた(笑)道を ボクソンさんに
お約束の11時に到着し
すこし お話をしたあとに 本題を
大阪のアサヒビールさんに 頂いた
この 50年以上も前の カラン (壁付きカランというらしいです)
これの 4つの メンテナンスを お願いに伺いました
番頭さんが 見て 出来ると思います! と・・・
うれしいお返事でした。
来年には この カランの お披露目会が できそうです(笑)
いろいろと昔話に花が咲き お昼となりました
お母さまが 気をきかせてくださり
お昼ご飯を食べながら お話の続きを・・ ということで
近所のレストランに 番頭さんと専務と 三人で
ここでも いろいろなお話を 伺ったのですが
ふと 疑問に浮かんだことを質問してみました
この 昭和初期に使われていた スイングカラン
この原型は 誰が造られたものなのですか???
すると 番頭さんから 明治・大正の頃のお話が語られました
それも、昨日のことをお話するように はっきりと!
祐天寺にあった シロップ屋さん
そのシロップを売るために ソーダ―水で 割って ジュースにすることを考案
その ソーダ―水を 作る機械を 木村さんに 依頼
そのソーダ―水の機械が順調に売れ
その噂をききつけた ビールメーカーが
ビールを 樽から 注ぐ 装置の開発を依頼
そこで 出来上がったのが
カフェ式コックと スイングカラン
その木村さんと言うのが
今 目の前で一緒に話を聞いている
専務の 曾祖父
その後? OK製作所を設立し (OKのKは 木村さんのK)
日本中の ビール設備を 制作 & メンテナンス
その当時の 生ビールの販売は ほぼ夏のみ・・・
その夏が終わると 全国から 何百 何千という
スイングカランが メンテナンスの為に 帰ってきたそうです
そのスイングカランから 現在の 泡出し機能式に・・・・
その 泡出し機能を 開発されたのが 専務のお父様 現社長さんとのこと・・・
ビールの歴史は ビールサーバーの歴史でもあったことに
感銘・感動を覚えました
80年前 私の祖父がビールを注いでいた サーバーも
間違いなく OK製作所さん 木村専務の おじいさまの時代の製品
重富は その 時代のカランを
制作者の 孫に メンテナンスを依頼したことになります・・・・
80年の時を超えて 木村家と 重富家の つながりをみつけ・・・
新たな想いが 湧き上がってきました (来春には形にしますね(笑)
3時間の中で 100年以上前からつながる 「線」 を 感じる時間でした
5000年前からつながる ビールと そのビールを注ぐ日本のサーバー
この 歴史と関係性 それが 日本人に及ぼした 功罪を 紐解こうと思います