動画「日本人の麦酒の原点」(仮称) 撮影日記 その⑥ 函館麦酒浪漫
2017年04月01日 | 09:58 | カテゴリ:ビールスタンド重富
函館ビアホールの経営は
金森赤レンガ倉庫を運営しておられる
金森商船株式会社さん ⇒ http://www.hakodate-kanemori.com/
その七代目社長 渡邉社長と お話させていただく機会を得ました
社長から 金森商船さんの 初代 渡邉熊四郎さんのお話を伺い…
函館に 来てよかった! そう実感しました
初代渡辺熊四郎氏は 天保十一年(1840)年 豊後國(今の大分県)で生まれ
24歳で 函館奉行支配船「函館丸」で 長崎から函館に渡航します
そこで 函館丸乗組商法方を命ぜられ
27歳で 仕事を辞し
明治2年 30歳の時 函館戦争の大混乱の中
函館山から見る 町の様子は 和服の兵が 洋服の兵に敗れ行く姿を見ます…
それをみた 熊四郎は 焼け跡の大町に 「洋品店」を開業し 屋号は「森屋」
その後は 省略しますが・・・ スミマセン
温泉・上下水道の必要性を説く・新聞発行・公園の私費で設置・病院を開業
北海道初の銀行設立・議員に選出される・私費で学校を増築・北海道セメント株式会社を設立
書店を開業 等々
詳しくは ⇒ http://www.hakodate-kanemori.com/history/
明治15年に 石黒源吾氏が 函で麦酒を醸造(詳細な記録は残っていないそうです)
明治31年 初代の手により 函館麦酒醸造所が 誕生します
そう当時に 開業したのが
函館ビアホール さん
6年間営業をされたそうですが 当時 札幌にあった 札幌麦酒の進出に対抗できず
撤退されたそうです
※今回私が 撮影して回っているのが 札幌麦酒 なのですが… (申し訳ない)
現社長が 函館ビアホールを復活されたそうです
復活するにあたり 銀座ライオン7丁目店さんで 社長自らが
ビールの注ぎ方を 習得してこられたそうです
だから 函館ビアホールさんは 「一度注ぎ」なんですね
⇒ http://www.hakodate-kanemori.com/shop/2010/04/h-01.php
社長は 今でも ビールを注がれることがあるそうですし
「一度注ぎ」にこだわり スイングカランを使い続けておられる 意味(理由)がわかりました
今回の 動画が 完成した あかつきには
函館麦酒さんの 動画を 撮影したくなりました (笑)
幕末・明治を 駆け抜けた男たちにとって 「麦酒浪漫」 とは
を 考える社長との 面談でした
本当に 函館に来て 良かったです
■一般学部 ⇒ WEBサイトをご参照ください
■飲食店学部
開校日:随時開校しています(お1人様~5名様程度)
時間 :約4時間
受講生:飲食店の方 又は、開業予定の方
費用 :5000円(お1人)
※実習のビール代・WEB等での広報に使用します
内容 :テクニック的な事はあまりお話ししていません
ビールの歴史。
人類の歴史の中でのビールの位置づけ。
ビールがこの世に存在する役割。
仕事終わりの1杯の生ビールの意味(重さ)
ビールを注ぐ事とは… 等
申込み:sake@sake.jp までお問合せください