復活ビヤホール(仮)2020年12月26.27日
2020年11月27日 | 11:31 | カテゴリ:広島を日本一生ビールが旨い街に!
26日の夜中に、ライブ配信でお伝えしました
「復活ビヤホール12.26.27」(仮)
facebooK・Instagram・youtube 3メディアから配信しました
台本は、同じなのですが…3つとも微妙に違います(笑)
お時間があるかたは、違いをお楽しみください
Youtube
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台本と、読み上げた「ビールと日本人」「重富コラム」を貼っておきます
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みなさん今晩はビールスタンド重富マスター重富です。
久々の単独ライブ配信です
今日は、広島パルコの前からお送りしています。
今年2020年も あと1か月で終わりますね。
皆さんにとって、今年はどんな1年でしたか
いろんな意味で、
忘れられない1年だったことは間違いないと思います。
重富が今立っている場所。
この場所には、広島初のビヤホールがありました。
昭和13年に開業し、府中にあったビール工場から出来立てビールが運ばれて
創業当時のビール工場※キリンビール提供
毎日おいしいビールで広島の喉を潤していました。
1959年頃のビヤホール(写真奥)
戦争中も営業をしていたようです
「ビールと日本人」という本があります。その中にビヤホールのことが書かれています。
ビールと日本人/河出文庫
それから丁度1年後の1945年8月6日 原子爆弾によって 広島が無くなりました
撮影/川原四儀氏
原爆資料館提供
その当時の事を、重富が調べて中国新聞さんのコラムに投稿しています。
中国新聞セレクト
ここ広島パルコに、その当時のビヤホールの壁の一部が残されています。
パルコ本館西側に残る「ビヤホールの壁」
広島はあの日一瞬にして無くなりました
75年間草木も生えないと言われました。
中心やや右に写るのが、ビヤホールの外郭
撮影/林重男氏
被爆当時のビヤ―ル
撮影/米軍戦略爆撃調査団
ビヤホールで使用されていた「ビール樽」が写っています
撮影/林重男氏
しかし、広島は強い町です。今では120万都市へと復興しました。
撮影/東熊男氏
2020年1月4日の新聞より
今年は、被爆75年。
草木も生えないと言われた今年に新型コロナが猛威を振るいました。
再び広島が止まってしまいました。
でも、広島は何度でも 立ち上がります。
そう 何度でも
ビール注ぎの重富に、なにが出来るのか考えました。
そして決めました。
75年前、この場所で飲んだ1杯のビールに元気をもらい、
立ち上がった多くの人がいたように。
この場所にビヤホールをつくります。
75年前のビヤホールが開業した日 12月26日 丁度1か月後。です。
今年はいろいろあったけど、来年はいい年にしよう! と
ビールで乾杯しましょう。
新型コロナの状況によっては、実施は難しいかもしれませんが、準備を始めます。
広島が立ち上がるために。 75年前1杯のビールがひろしまを勇気づけたこの場所から始めます。
ビールスタンド重富 マスター重富が 広島パルコ
いや、広島初のビヤホールがあった場所よりお送りしました。
みんなで 2021年を迎えに行きましょう!
フォト蔵より
ビールスタンド重富
広島市中区銀山町10-12
営業時間:17時~19時 営業カレンダー
※16時頃より整理券を発券します
※お一人2杯まで
ビールスタンド重富ekie
広島駅新幹線口(北口)1階
ekiekitchen エキエスタンド内
営業時間:10時~21時
定休日:元旦及び、ekiekitchen営業日に準ずる
※杯数の制限はありません
※ekiekitchenで購入された「つまみ」は持ち込めます