広島を生ビールで元気にしたい!ひろしま元気プロジェクト

旨い生ビールで「広島」の経済を復活させると信じて行動する酒屋の社長の徒然日記

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  3. 2011年3月

旭鳳酒造(可部/広島市安佐北区)新酒試飲会&蔵見学

 

可部の旭鳳酒造さんで 新酒の試飲会があります

 

 

日時 4月2日(土) 13時〜16時 

 

場所 広島市安佐北区可部3−8−16

 

    (国道54号線の191分かれ付近)

 

内容  奈良漬の試食

 

    酒蔵見学(14時)

 

    ぬのびき家特製酒粕のブランマンジェの販売

 

※先着30名様には「180mlのお酒」プレゼント!

 

※駐車場はありません

 

※運転される方の試飲はご遠慮ください

 

※ご予約不要/入場無料

 

重富は参加しようと思います(14時の蔵見学をめどに向かいます)

 

どなたかご一緒しませんか

 

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今日のFMちゅーピーで お話した内容です

今日のFMちゅーピーでお話しした内容です。 この度の大地震でお亡くなりになられた方々に、心より哀悼の意を表します。 また、被災された方、そのご家族・関係者のみなさまには心よりお見舞い申し上げます。 また、全国で頑張っておられるボランティアさんにもエールを送りたいと思います。 16年前の阪神淡路大震災のときに、広島からボランティアで炊き出しに行きました。 その後、小学校や中学校のPTA会長として関わってきた経験の中から、 今回の大震災について重富なりに「感じること」を2つお話したいと思います。 1つは、今回の大震災の復興への道のりは、言いかえると「駅伝」と似ているということです。 駅伝に例えてお話したいと思います。 そして2つめは「地域力」を見直しましょう。ということです。 日常的に笑顔で繋がっている地域での人間関係。  おはよう!  こんにちは! と声をかけあうことができる関係が、災害でのライフラインだということです。 セーフティネットに直結しているという点です。 今日は「駅伝」についてお話して、来月は「地域力」についてお話したいと思います。 16年前の阪神淡路大震災の時は、一週間もしなかった時期に、 広島から物資を集めて炊き出しに、神戸の長田区に出向きました。 神戸と、わりと近い場所でもありましたし、知り合いも何人もいる地域で、 他人事と思えなかったこともあります。 また若かったこともあります。当時自分の会社ではまた平社員でしたから、 あまりスタッフのことなど考えずに行動に移せたことも事実ですね。 あれから、16年経って、守るべきものも多くなり、 なかなか思って即行動に移せていない自分がいます。 今回の大震災に関しては、募金をする程度で、これといった動きはまだ始めていません。 でも、交通手段が確保できて、民間ボランティアの受け入れ体制が整えば、 全国に居る飲食店仲間と協力して、美味しい料理と広島の元気を届けたいと思っています。 そこで、重富なりに今回の大震災への復興について考えてみました。 復興には、5年も10年もかかると言われています。 この長い期間を、みんなで走り続けなければいけません。 真っ先に動き出す人たちが今、さまざまな活動をされています。 募金だったり、救援物資を集めたり、仕分けしたり、運んだり、情報を収集したり、 現地に出向いて活動している人も沢山います。 これを例えると「駅伝」に似ているのではないかと思います。 今、スタートダッシュの得意な人たちが第一走者として走り始めました。 駅伝で大切な事は、スタートからゴールまで「たすき」をつなぐ!ということです。 スタートダッシュの得意な人、長距離を走れる人もいるでしょう、 それとは違って短い距離が得意な人もいます。坂道が得意なランナーもいるでしょう。 第二走者の人は、そろそろウォーミングアップを始めている頃だと思いますが、 ゴール近くを担当する人は今からウォーミングアップをしていては、 たすきが手元に来るまでに疲れてしまいすよね。 それぞれのランナーの、走る場所、走る時期が違っているということです。 でも駅伝には、そのランナーと同じくらい大切な人たちがいます。  だれだか分かりますか? そうです応援団です。駅伝でも、路上で多くの人たちが旗を振って応援・声援していますよね その声援があるから、ランナーたちは最後まで頑張って走れるのだと思います。 ちょっとここで考えてみてください。 ランナー達が、声援している人たちに向かって 「なんで君たちは走らないの?」とは言いませんよね? 今、もしかするとそういう現象が起こっているように感じます。 大震災に関して、行動に移している人たちが、 まだ具体的な行動をおこしていない人たちに「なんで行動しないの」 とか・・・ その逆で、「どう行動してよいかわからない人たちが」 すでに行動している人たちを見て、 自分は役に立たない、ダメな人間なのでは・・・ などど感じている人も少なくないと思っています。 でも、大丈夫です。 「いつかあなたの出番が必ずやってきます」 今回の復興は、駅伝です。今まさに走っている人には「声援」を送りましょう。 そして、自分が走れる場所と、時期を探しましょう。 その時が来たら走りましょう。それは、明日かもしれません、 1年後や2年後かもしれません・・・もしかすると最終ランナーかもしれません。 今、なにをしてよいかわからないからといって 「自分を否定したり、ダメだなんて思わないでください」 いつか、きっと、あなたにしか出来ない事がやってきます。 その時を待ちましょう。そして、今は、走っている人たちを応援しましょう。  また今、走っている人たちは声援を送っている人たちに対して、またなにもできていない人に対しても 「今は、俺達が走る、このたすきをつなぐ準備を進めてくれ!いつの日か頼むぞ!」  という気持ちでまだ動けていない人たちに声援を送ってあげてください。 そして、その皆さんの行動や、思いを・・・子ども達に、みせていってほしいと思います。 5年後10年後に、今のたすきを持って走る始めるのは子ども達です。 大人達が、日本の復興、再生のために、 それぞれの場所・立場で走り、声援を送るその背中を、子ども達に見せていきましょう。 非難や中傷をする姿を子ども達にみせることは、 将来に希望をもてない子ども達をつくってしまうと思います。 子ども達が、いつか走り始める時を信じて! 「日本は大丈夫! 俺たち大人たちに着いてこい!」 そう伝えたいと思っています。 でも、いちばん人も、物資もお金も必要なのは、今の時期ですよね。 広島にいて、自分が出来る部分を担っていきたいと思います。

 

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【FMちゅーピー/広島すまいるパフェ 15:2 0頃】

 

 

 

今日のオンエアーですが・・・

 

いつもは飲食の話をするのですが

 

今日は、重富が阪神淡路大震災でのボランティアやPTA活動を通じた中で 今回の大震災について思う事を話してみたいと思います。

 

すこし偏った見方になっているかもしれませんが 「今、広島にいる私たちにできること」と題してお話します。

 

1つは、大震災への復興を例えると「駅伝」ではないか 2つめは「地域力」を見直しましょう 

 

です。

 

 

電波が入らない地域でも インターネットトラジオでリアルタイムで聞く事ができます。

 

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第2回広島元気ツアー「酒蔵見学」

 

 

八幡川酒造さんの「蔵開き」に元気ツアーします。

 

3月27日(日) 10:00 集合  10:30 酒蔵見学

 

以後は自由に試飲などをして蔵内でお過ごしください。 自由解散とします。 重富は一応・・・終了時間の15:00まで蔵におります。 「広島元気ツアー」のファイルを持っていますので お気軽に声をかけてください。

 

蔵開きの内容は ●蔵見学 ●笹酒(無料)●有料試飲 ●おでん・やきとり(他) ●もちつき大会

 

酒蔵見学は 12:00 13:30(予備)にも開催されます。

 

 

※現地集合の現地解散です ※駐車場はありません ※試飲があるので公共交通機関でお越しください ※雨天決行

 

お誘い合わせの上ご参加ください。お待ちしています。 お問い合わせ・お申し込みは  お気軽に 重富 まで メッセージか お電話で 090-3177-6220

 

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今、広島にいる自分ができること

 

大地震でお亡くなりになられた方々に、心より哀悼の意を表します。 また、被災された方、そのご家族・関係者のみなさまには 心よりお見舞い申し上げます。

 

今、広島にいる自分になにができるのだろうと考える日々です。 考える時間を行動に移すスイッチがみつかっていないもどかしさを感じながら 阪神淡路大震災のときよりも、自分自身が守るもの(人)が多くなっている事も スイッチを探せない要因になっていると感じています。

 

阪神淡路大震災やPTA会長を経験して感じている事は「地域力」です。 隣近所が、日常生活の中で「ゆるやかに繋がっている」ことを重要さを感じます。

 

災害時など、避難所に顔見知りが居ることの安堵感、知っている子ども達を守りたいと思う力

 

救助においても 「あそこの息子さんは今大学だから東京ですよ」 「おばあちゃんは、ちょうどショートステイから帰ってきている時間帯でした」 「足の不自由なおじいちゃんが、1階の置くの部屋で寝ていたはずです」

 

日常で、挨拶をかわしたり、町内会の掃除に出かけたり、子ども会・学校の行事や神社の祭り 日常で、笑顔で繋がっていることが、そのまま緊急時の「ライフライン」だということを・・・

 

今、日常生活ができている私達ができることだと感じています。

 

「地域力」を今一度見直しましょう。

 

何度かブログにも掲載していますが、阪神淡路大震災での記事を書いておきます ↓

 

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今でもあの日の朝を鮮明に覚えています。

 

自宅の二階の寝室で寝ていたのですが、ゴォ〜と言うような地響きというか、揺れに目が覚めました。 とっさにとった行動は、自分の布団を妻にかぶせました。 その時妻は妊娠8ヶ月でした。 すぐにおさまるだろうと・・・でも 揺れは1分くらいは続いたでしょうか?

 

脳裏には、会社の「酒」が・・・かなり倒れて壊れているだろうな・・・ と

 

朝のニュースで、神戸の街に黒煙が上がっている映像を見ました。 今朝の地震は「神戸」だったんだ。 ニュースを見るたびに、とてつもなく大きな地震であったことが伝わってきます。

 

会社に到着した私は、ホッとしました。 何千本とある商品の中で、破損していたのはワインが数本だけだったのです。

 

そのころの私は、広島青年会議所に所属しており、その年はセクレタリーを務めさせていただいていました。 正副会で「神戸に支援に行こう」との話があがり、すぐに「連れて行ってください」と申し出ました。

 

広島青年会議所(JC)のメンバーから、様々な食料物資をいただき(魚・肉・牡蠣・水・・・)トラックに積んで、朝早くに広島を出発しました。 車には「救援物資運搬中」と明記し、山陽自動車道を朝日に向かって走りました。

 

岡山県を過ぎて兵庫県に入る頃から、家々の屋根にブルーシートが目立ち始めました。 そのブルーシートの数が、少しづつ増えているのがわかりました。

 

高速を姫路で降りて、現地のJCメンバーに先導してもらい神戸の町に入りました。 目的地は長田地区です。 目を覆いたくなるような惨状と、鼻を突き刺すよな焦げた匂い。 直線ですすめば、すぐの距離を、迂回して迂回してすすみます。 メイン道路は片付いていましたが、路地に入るとそのはまだ地震直後の様相でした。

 

長田地区の学校の校庭にトラックをとめ、準備にかかりました。

 

ドラム缶を改造した大型コンロで炭をおこし、金網をのせて 焼き肉・焼き魚・焼き牡蠣を 皆さんに配り始めました。

 

長打の列ができていましたけど、誰一人として割り込んだり、文句を言う人はいませんでした。 私は、お渡しする係りをしていました。 かなりの量の材料をもってきていたので、多くの方々にお配りすることができました。 「頑張ってくださいね」「熱いので気をつけてください」そんな声をかけながら数時間経ったころでしょうか・・・

 

隣にいたメンバーが「お前 なにを 言いよるんや!」と声が聞こえます。 ふとわれに返りましたが・・・ その時の私は、食事を皆さんに渡しながら

 

  「ありがとうございます」 「頑張ってくださいね。本当にありがとう」

 

そんな言葉をかけていました。 自分では無意識だったのですが、自然と口から出た言葉でした。 疲れとるんじゃろう、少し休めや! と 言われましたが、まったく疲れを感じていない自分にビックリです。 朝早くから出発し、運転し、焼き続けて・・・ 疲れ という感覚がまったくありません。

 

それから1時間くらいして、食材もなくなり、片づけをして広島への帰路につきました。

 

 

学校を出るときに、子ども達が手を振って「ありがとう! 気をつけてね〜」と声をかけてくれました。 その時の子ども達にも「ありがとうな!」そう声をかけていました。

 

真っ暗な高速を広島に帰りながら・・・なんで「ありがとう」と言ったんだろうと考えました。 同行したメンバーはみな疲れて寝込んでいます。 静かな車内でゆっくりと考えることができました。

 

そして思いました。

 

「支援物資を届けて、なにかお役に立ちたい」という気持ちででかけました。 そこには「感謝されたい」そんな気持ちはありませんでした。が・・・ 食事を手渡しながら、多くの方々からの感謝の言葉をいただきました。

 

私がお渡ししたのは「食事」ですが、そのお返しに「感謝」という気持ちを  たくさん、沢山いただきました。 そのことに「ありがとう」と言葉が出たのだと思います。 その感謝の気持ちをいただいたことで、疲れを感じずに、笑顔で動き続けることができたのかと思います。

 

      「ありがとう」って すごい言葉ですね

 

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