戦前の生ビールのある風景 初代(祖父)の四斗平
2012年07月30日 | 09:44 | カテゴリ:未分類
広島では、外国からお越しになる方が 日に日に増えているように感じます
8月6日は 原爆記念日ですね・・・
今年もあの日がやってきます。
さて 原爆で焼失する前の 四斗平の 写真を ビールスタンド重富に飾っています
多くの方に 質問をいただくので ここで ちょっと 説明しておきます
昭和初期 酒屋を経営していた 祖父(三男)と祖父の兄(長男)
その当時の酒屋さんは 酒造メーカーから 「酒」を購入して
酒屋さん オリジナルの ブレンド酒 を 販売する事が許されていました
そこで 弊社で オリジナルブランド (いまでいうPB)の 日本酒が
春榮 (はるざかえ)
春に榮る・・・ いいネーミングですね・・・
その オリジナル日本酒を まず飲んでもらう意味で (宣伝酒場)として
居酒屋 四斗平が 誕生しました。
その当時の写真が こちらです・・・・・
わざわざ 菰まで 作成してたようですね・・・・
※しかし・・・当時 酒だけを混ぜ合わせるのではなく 水で薄めた酒屋もいたようで・・・
この ブレンドの許可は 現在では 認められていません・・・
この事件が 「水増し」という語源になったとか・・・
そして、その当時 大阪に仕事に出かけた祖父は 「生ビール」と出会います
もしかすると・・・日本で初のビアホール 「アサヒ軒」さんだったかもしれません
アサヒ軒さん
この旨い「生ビール」を どうしても 広島の人にも飲んでもらいたい!
そう思った祖父は 単身 西宮にある アサヒビール工場を訪ね
そこのドイツ人技師より 「生ビール」の 技術を習います
そして・・・ 広島で 初の生ビールを販売する 居酒屋が 誕生します。
それが 四斗平です
春榮の 樽が ビール樽に かわり
のれん にも 「サンソ式生ビール」と 書いてあります
どんな生ビールを提供していたのか・・・ とても気になる所なのですが
たぶん 私のDNAから推測すると・・・
こだわりに こだわった 生ビールだったに違いないと思います
その当時の ビアホールの 生ビールを注ぐシステムを 忠実に再現したのが
ビールスタンド重富 です
昭和のビールシステムで 注ぐ 元気いっぱいの生ビール
是非 貴方の 「喉」で お確かめください
8月のお休みは・・・ 7日(火曜日)と 全日曜日がお休みです ※お盆休みはありません
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ビールスタンド重富 営業時間 17時~19時
広島市中区銀山町10-12 (ブルーウェーブインホテル広島南側)
※おかわりは1杯まで (合計2杯まで) ※おつまみはありません(持ち込みもご遠慮ください) ※ビールの「咽越し」を楽しんでいただくため、立ち飲みです ※重富が、出張中等の場合は 休業です (サイト等でご確認ください)
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