アサヒビール西宮工場さんに感謝を込めて・・御礼訪問
2012年10月06日 | 10:37 | カテゴリ:未分類
この西宮工場さんの閉鎖が決まり・・ その後 東日本大震災がおこり・・・
閉鎖が 1年延長されました
1年間ほど 長く この工場で醸造された ビールを扱わせていただくことができました。
毎日のように 重富酒店や 居酒屋三代目四斗平 ビールスタンド重富で
注いでいる生ビールは この工場で 造られたものです。
そして この生ビールを 取扱始めたのは 祖父の時代に遡り およそ70年前
西宮工場さんが 90年の歴史に幕を閉じるとのことなので
その大半お世話になったわけです
西宮工場さんと 重富家の出会いは 70年以上も前に さかのぼります・・・
昭和10年頃 大阪の街に出かけた 祖父(博)が 初めて 【生ビール】 と出会います
※その当時 広島では まだ生ビールを販売している飲食店は なかったそうです
そこで祖父が 思った(誓った)のは
「この 美味しい生ビールを 広島の人たちに 飲んでもらいたい!」
そう思い立った祖父は アサヒビール西宮工場さんに出かけて行き
そこに駐在していた ドイツ人技師から 生ビールの 取扱説明や管理方法を
こと細かく学びます・・・
そして 昭和15年頃だと思いますが・・・
広島で 初の生ビールを販売します。
それが 初代 四斗平 です
その当時の 外観の様子です・・・ のれんには 「サンソ式生ビール」
店頭には ビール樽 が 積んであります
祖父が 生ビールを 勉強させていただき
その時から 西宮工場さんで造られたビールを 70年間に渡って 販売させてもらいました
数年前 無理を言って 西宮工場さんで 重富も 樽生講習会(特別編)を受講させていただきました
祖父と同じ場所で ビールを勉強できたことを とても嬉しく思った場所です
その工場の閉鎖を聞き どうしても ご挨拶に伺いたかったのです
工場の中に入る事は、ご迷惑だと思い 外から そっと ご挨拶させていただきました。
70年間 本当に ありがとうございます
そう思うと 目頭が熱くなり・・・ とても 悲しい気持ちになりました
1つの時代が 終わることへの 寂しさと
祖父が願った 「広島の人に 美味しい生ビールを飲んでもらいたい」
その気持ちを 新たにした 工場の正門でした
帰路につこうと思い ふと 庭をみると
さざんかの実が生っていました。
祖父は 椿 と さざんか が大好きだったことを思い出しました。
内緒で 種を ちょっとだけ いただきました (ごめんなさい アサヒビールさん)
機会があれば 祖父が大好きだった わびすけ(椿)の 傍に 植えようと思います
工場の前の道を歩いていると ふと 看板が目にとまりました
西宮工場さんの 前の 道は 【国道2号線】 でした・・・
重富酒店と 西宮工場さんを 繋いだ ビールを運ぶ 広島まで続く道が
工場の 目の前を 走っています・・・
また 感激を覚えずには いられませんでした。
西宮工場さん 本当に 長い間 ありがとうございます。
これからも 美味しいビールを 広島の方々に飲んでもらう事で 恩返しを 続けて行きたいと願います。
祖父になりかわり 心より 御礼申し上げます
ありがとうございます
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