原爆傷害調査委員会(ABCC) と 重富酒店 の 【関係図】
2013年04月01日 | 09:34 | カテゴリ:未分類
ABCC と 聞いて 比治山の上にある建物だよね・・・
と 「ピン!」 と来る方は・・・ 重富と同年代以上の方でしょうね
現在は ABCC(原爆傷害調査委員会) ではなく 放射線影響研究所
として 活躍されています
2年前の 3.11 東日本大震災の時に こちらの施設からも 放射線の専門家として
何人ものスタッフさんが 福島に行かれたことは ニュースなどで聞かれた方も多いでしょう
昨日 この 放射線影響研究所の そばに・・・ 花見 に 出かけてきました
重富が知る限りでは とても 見事な桜の木 だと 思っています
昨日は 愛犬2匹と お弁当と持って お花見に やってきました
さすがに 比治山は 大変な賑わいでした・・・
丁度 木の下に スペースがあり・・・
愛犬2匹と 一緒に お弁当を食べました
となりの シートでは 女子大生(高校生)と思われる4人組が・・
マリオカートを 無線でつないで 楽しんでいました・・・ 今どきなのでしょうね・・・
さて この 放射線影響研究所の 前身 ABCC と 重富酒店(父)との関係についてです
ビールスタンド重富に ご来店くださった方は ご存知の方も 多いと思います
店内の壁に 地図(住宅)が 掲示してあります
この 地図が 以前からあることは 知っていました (戦前の八丁堀界隈の住宅地図)
丁度 1年前くらいに 父に
「なんで、この地図があるん」 と 聞いたところ・・・・
父曰く・・・
終戦後 中学生だったころに ABCCの命令で 家の近所の地図を 書かされた
との 返事が 帰ってきました
終戦時 6年生だった父は 疎開から 帰ってきて 修道中学に入学
その時に ABCC(米軍)に 書かされたもののようです
友人 数名と 思いだしながら書き出したもののようです・・・・
重富が 想像するに・・・・
ABCCは 放射線(放射能)の 傷害調査をしていた 組織です
被爆された方の 「位置情報」 が 必要だったのではないかと 推察しています
他にも 同じように 命令されて書かれた 地図が 現存しているのでしょうか??
戦前の 八丁堀界隈の地図・・・
現代と 大きく違っている箇所(道)があります・・・
是非 ご覧になって 探してくださいね・・・・
今朝 京橋川を 散歩していたときの風景です・・・・
「ごみを捨てない」
そんな 子育てをしてきたかな~ と 自問自答です
我が子に対しても 近所の子ども達に対しても・・・
そして 自分自身にも・・・
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