広島を生ビールで元気にしたい!ひろしま元気プロジェクト

旨い生ビールで「広島」の経済を復活させると信じて行動する酒屋の社長の徒然日記

旨い生ビールで「広島」の経済を復活させると信じて行動する酒屋の社長の徒然日記

支那事変従軍記章 祖父の 物入れの 中から・・・

 会長(父)の デスクを 整理している最中なのですが  会長でデスクの 物入れは 祖父の時代の物です・・・  中からは  父と祖父の 物が 多数出てきます  我が家は 「捨てれない」 家系のようです   (笑)  祖父の時代の こんな ものが 出てきました  支那事変 とは ※Wikipedia より  支那事変(しなじへん)とは、1937年(昭和12年)から始まった  日本と中華民国の間で行われた長期間かつ大規模な戦闘である  (ただし、両国とも宣戦布告を行わなかったため事変と称する)。  祖父は 戦争を体験していると 聞いていました・・・  商売人で とても 几帳面であった 祖父は  前線ではなく、経理部門に配属されたと聞いています  なので、戦死や怪我をすることもなく 昭和の激動の時期を生き延びることができたようです  その時代に  ドイツ人技師より ビールの注ぎ方や管理方法を学び  広島の地で 「生ビールを販売する」  その 精神力が どこから 湧いてきたのでしょう  平成の世で 生ビールを「注ぐ」 私と 昭和初期に 生ビールを「注ぐ」祖父  同じ 「注ぐ」 の なかの  「意味・意義」 の 違いを感じざるを得ません・・・  しかし・・  しかし・・   私と祖父の 「注ぐ」 の 本質的な 「意味」は  たぶん  同じであっただろうと・・     私の中に流れる  DNAが 応えています  厳しい時代であったからこそ そんな時に飲む 「1杯の生ビール」  この「1杯」の中に、祖父は 意味と意義を 見出していたのだと思います  平成の世  自殺者が3万人を越え、鬱の方も増加の一方、ニート、引きこもり、いじめ、虐待  爆弾が飛んで来ない この 平成の世 ですが・・・  違った意味での 戦時下なのかもしれません  その状況で 重富が注ぐ 「1杯の生ビール」 の  意味・意義は  祖父と 同じなのだと感じます  しかし 昭和の状況で ビールを注ぐ のと 平成の世で ビールを注ぐ では  技術や設備に 大きな「ひらき」があります・・・  しかし この 「ひらき」 が・・  ビールを注ぐ 意味と意義を  薄れさせてしまった感はぬぐえません  技術と科学の 進歩と 同調に  心や気持ちも ついていかなければと願います  祖父に 改めて 感謝 です       生ビールで!      ひろしま元気プロジェクト webはこちらから

コメントする