阪神淡路大震災の年に生まれた子どもが・・・成人式を迎えました。
2015年01月17日 | 11:21 | カテゴリ:未分類
今でもあの日の朝を鮮明に覚えています。
自宅の二階の寝室で寝ていたのですが
ゴォ~と言うような地響きというか、揺れに目が覚めました。
とっさにとった行動は、自分の布団を妻にかぶせました。
その時妻は妊娠8ヶ月でした。
すぐにおさまるだろうと・・・でも 揺れは1分くらいは続いたでしょうか?
脳裏には、会社の「酒」が・・・かなり倒れて壊れているだろうな・・・ と
朝のニュースで、神戸の街に黒煙が上がっている映像を見ました。
今朝の地震は「神戸」だったんだ。
ニュースを見るたびに、とてつもなく大きな地震であったことが伝わってきます。
会社に到着した私は、ホッとしました。
何千本とある商品の中で、破損していたのはワインが数本だけだったのです。
そのころの私は、広島青年会議所に所属しており、
その年はセクレタリーを務めさせていただいていました。
正副会で「神戸に支援に行こう」との話があがり、
すぐに「連れて行ってください」と申し出ました。
広島青年会議所(JC)のメンバーから、
様々な食料物資をいただき(魚・肉・牡蠣・水・・・)トラックに積んで、
朝早くに広島を出発しました。
車には「救援物資運搬中」と明記し、
山陽自動車道を朝日に向かって走りました。
岡山県を過ぎて兵庫県に入る頃から、
家々の屋根にブルーシートが目立ち始めました。
そのブルーシートの数が、少しづつ増えているのがわかりました。
高速を姫路で降りて、現地のJCメンバーに先導してもらい神戸の町に入りました。
目的地は長田地区です。
目を覆いたくなるような惨状と、鼻を突き刺すよな焦げた匂い。
直線ですすめば、すぐの距離を、迂回して迂回してすすみます。
メイン道路は片付いていましたが、路地に入るとそのはまだ地震直後の様相でした。
長田地区の学校の校庭にトラックをとめ、準備にかかりました。
ドラム缶を改造した大型コンロで炭をおこし、金網をのせて
焼き肉・焼き魚・焼き牡蠣を 皆さんに配り始めました。
長打の列ができていましたけど、誰一人として割り込んだり、
文句を言う人はいませんでした。 私は、お渡しする係りをしていました。
かなりの量の材料をもってきていたので、多くの方々にお配りすることができました。
「頑張ってくださいね」
「熱いので気をつけてください」
そんな声をかけながら数時間経ったころでしょうか・・・
隣にいたメンバーが
「お前 なにを 言いよるんや!」と声が聞こえます。
ふとわれに返りましたが・・・
その時の私は、食事を皆さんに渡しながら
「ありがとうございます」
「頑張ってくださいね。本当にありがとう」
そんな言葉をかけていました。
自分では無意識だったのですが、自然と口から出た言葉でした。
疲れとるんじゃろう、少し休めや! と 言われましたが、
まったく疲れを感じていない自分にビックリです。
朝早くから出発し、運転し、焼き続けて・・・
疲れ という感覚がまったくありません。
それから1時間くらいして、
食材もなくなり、片づけをして広島への帰路につきました。
学校を出るときに、子ども達が手を振って
「ありがとう! 気をつけてね~」と声をかけてくれました。
その時の子ども達にも「ありがとうな!」そう声をかけていました。
真っ暗な高速を広島に帰りながら・・・なんで「ありがとう」と言ったんだろうと考えました。
同行したメンバーはみな疲れて寝込んでいます。 静かな車内でゆっくりと考えることができました。
そして思いました。
「支援物資を届けて、なにかお役に立ちたい」
という気持ちででかけました。
そこには「感謝されたい」そんな気持ちはありませんでした。が・・・
食事を手渡しながら、多くの方々からの感謝の言葉をいただきました。
私がお渡ししたのは「食事」ですが、
そのお返しに「感謝」という気持ちをたくさん、沢山いただきました。
そのことに「ありがとう」と言葉が出たのだと思います。
その感謝の気持ちをいただいたことで、
疲れを感じずに、笑顔で動き続けることができたのかと思います。
「ありがとう」って すごい言葉ですね
その時に生まれた子どもが 成人式を迎えました。
昨年 長田区に 伺った時には その当時を想像させるんものは
なにも 見当たりませんでした
鉄人28号が とても頼もしく思えました
玄人直伝【ウチ飲み指南】
是非ご家庭で 美味しいビールをお楽しみください
表示されない場合はこちら → http://youtu.be/K4lbeenM16Q
サッポロラガービールを 販売している
街の酒屋さんリストです