広島を生ビールで元気にしたい!ひろしま元気プロジェクト

旨い生ビールで「広島」の経済を復活させると信じて行動する酒屋の社長の徒然日記

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  3. 2011年12月

昭和初期 頃の 四斗平の 外観・・・と今の外観

 

 

祖母の遺品の中から もうすこし古い写真も出てきました

 

 

 

先日 ご紹介した 写真は これ ↓

 

 

 

 

数年は 違うのだと思いますけど・・・・

 

四斗平を 作った経緯を お話ししますと・・・・

 

上の写真に たくさん写っています 「菰樽」 これ 四斗樽 と 言います 

 

(四斗平の名前の由来はココにあります)

 

この 四斗樽に 書かれている お酒の名前(ブランド)  

 

   春栄 

 

これが 弊社の オリジナルブランド だったのです

 

 

 

酒税法では 酒蔵から 酒を仕入れ(樽で) 

 

その酒を ブレンドして オリジナルとして販売できました。

 

 

 

つまり 賀茂鶴さんと賀茂泉さんと亀齢さんと 混ぜて 販売できたわけです。

 

 

 

しかし・・・ 悪い酒屋も いたようで  酒以外に「水」を混ぜて売ってしまったようで

 

 

これから 「水増し」という言葉が 生まれたとか・・・・・

 

 

 

 

現在では、酒屋でブレンドすることは 認められていません 

 

 

 

広島市内だけ 「特区」を申請して 復活させてみてはどうでしょうか・・・・・

 

 

 

この 春栄を 宣伝する意味の 「宣伝酒場」 今どきでいうと アンテナショップ?

 

として 誕生したのが  四斗平 なのです・・・・

 

 

そして 四斗平 の名前の 由来は

 

 

酒屋として 酒の樽  四斗樽を抱えても平っちゃら (へっちゃら)

 

が 起源のようです

 

 

 

現在の四斗平の 外観は こちらです・・・・ ↓

 

 

 

三代目の私の 思いは・・・

 

  四斗樽の酒を みんなで 平らげる という意味で使っています

 

  同じ酒を みんなで飲もう   

 

 という お店にしたいのです

 

   (同意語) 同じ釜の飯を食った仲間  同期の桜 同窓生

 

 

  居酒屋 三代目 四斗平

 

流川通りの カサブランカビルの 1F にあります 月~木 17:30~25:00 金・土  17:30~26:00  (日・連休の最終日を定休とさせていただきます) 電話 082-246-8616 http://r.gnavi.co.jp/y154601/

 

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昭和初期 頃の 四斗平の 外観・・・と今の外観

祖母の遺品の中から もうすこし古い写真も出てきました

 

 

 

先日 ご紹介した 写真は これ ↓

 

 

 

 

数年は 違うのだと思いますけど・・・・

 

四斗平を 作った経緯を お話ししますと・・・・

 

上の写真に たくさん写っています 「菰樽」 これ 四斗樽 と 言います 

 

(四斗平の名前の由来はココにあります)

 

この 四斗樽に 書かれている お酒の名前(ブランド)  

 

   春栄 

 

これが 弊社の オリジナルブランド だったのです

 

 

 

酒税法では 酒蔵から 酒を仕入れ(樽で) 

 

その酒を ブレンドして オリジナルとして販売できました。

 

 

 

つまり 賀茂鶴さんと賀茂泉さんと亀齢さんと 混ぜて 販売できたわけです。

 

 

 

しかし・・・ 悪い酒屋も いたようで  酒以外に「水」を混ぜて売ってしまったようで

 

 

これから 「水増し」という言葉が 生まれたとか・・・・・

 

 

 

 

現在では、酒屋でブレンドすることは 認められていません 

 

 

 

広島市内だけ 「特区」を申請して 復活させてみてはどうでしょうか・・・・・

 

 

 

この 春栄を 宣伝する意味の 「宣伝酒場」 今どきでいうと アンテナショップ?

 

として 誕生したのが  四斗平 なのです・・・・

 

 

そして 四斗平 の名前の 由来は

 

 

酒屋として 酒の樽  四斗樽を抱えても平っちゃら (へっちゃら)

 

が 起源のようです

 

 

 

現在の四斗平の 外観は こちらです・・・・ ↓

 

 

 

三代目の私の 思いは・・・

 

  四斗樽の酒を みんなで 平らげる という意味で使っています

 

  同じ酒を みんなで飲もう   

 

 という お店にしたいのです

 

   (同意語) 同じ釜の飯を食った仲間  同期の桜 同窓生

 

 

  居酒屋 三代目 四斗平

 

流川通りの カサブランカビルの 1F にあります 月~木 17:30~25:00 金・土  17:30~26:00  (日・連休の最終日を定休とさせていただきます) 電話 082-246-8616 http://r.gnavi.co.jp/y154601/

 

 

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昨日は 49歳の誕生日でした。 ありがとうございます。

12月12日は 私が 49年前に生まれた日です。

 

(覚えやすいとよく言われますが・・・・)

 

昨日の朝・・・ 会社のデスクで メールチェックをしていると

 

 「はい 社長 こんなことしかできませんが・・・」  と 

 

ぶっきらぼうに スタッフSが・・・ 

 

 

  

 

温かいコーヒーでした。 体だけではなく 心も温かくなった昨日の朝でした。

 

 

 

   感謝・・・   ありがとう

 

 

 

昨日は、多くの方からメッセージをいただきました。

 

太光寺の 東副住職からは

 

 「お誕生日は、自分が祝っていただくよりも、   一番お腹を痛め苦しんだお母さんの労いと感謝の日でもあります。   共におめでとうございます。」

 

と たいへん ありがたいお言葉もいただきました。  

 

 

昨晩は、業界の忘年会だったのですが・・・1次回で切り上げて

 

帰宅し、頂いたメッセージに お返事を書きました。

 

なんとか 誕生日の 日が変わらないうちに 返事を書き終えることができました。

 

おひとり お一人に 感謝です。  ありがとうございます。

 

 

皆様に 支えてもらった この1年だったと思います。

 

支えてもらった「ご恩」を・・・皆様が暮らしている この広島に恩返しすることで

 

お返ししてゆこうと思います。

 

2012年の12月12日も 感謝の1日にできるように この1年を過ごしたいと思います。

 

 

ありがとうございます。

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広島で最初に生ビールを販売したお店・・・

来年の2月に 生ビールスタンドを OPEN させるのですが・・・

 

ひとつ 疑問におもったことがあり 調べています。

 

弊社の祖父が 戦後初めて 生ビールを扱った と聞いていたのですが・・・・

 

それは 事実なのか? ということです

 

その当時の生ビールは 「木樽」だった という 父の証言から

 

アサヒビールさんの冊子で 調べました。

 

 

 

 

創業当時からの 歴史が 事細かく記載されています・・・・

 

この工場 いま現存していたら どんなにすごいでしょう・・・・

 

 

 

 

 

宮崎駿さんの 映画に出てきそうな 工場ですね・・・・

 

 

その冊子の 1ページに 写真を見つけました・・・・

 

 

 

 

 

 

たしかに その当時の 「生ビール」は 【木樽】だったようです・・・・

 

 

 

 

 

 

先日・・・・祖母の遺品を片づけていた時に こんな 写真が出てきました

 

 

 

 

 

弊社創業時の 居酒屋 四斗平の店頭に 並んでいる 【木樽】

 

 

まさに、アサヒビールさんの 【木樽】です・・・・

 

 

弊社の祖父が 【木樽】で 生ビールを 販売していたことが 確認できました・・・・

 

 

 

 

 

     あれ・・・・・     

 

 

 

 

生ビールを 販売していたのだ  「戦後」だと聞いていたのですが・・・・

 

 

 

この写真・・・ 原爆で焼失するまえの 四斗平の姿です・・・・ 

 

 

 

と言うことは・・・・

 

 

 

戦前に「生ビール」を 販売していたことになります。

 

 

 

広島の人に 生ビールを 飲ませたい! そう 願った祖父が・・・・

 

ビール工場に押しかけて・・・生ビールの取り扱いを 習ったと聞いています。

 

 

 

 

その当時 祖父が ビール会社で 習ったであろう ビールサーバーを

 

先日の 東京研修で 見つけています

 

 

 

ビアライゼ98さん (新橋) で 今でも 現役の ビールサーバー

 

 

当時の 四斗平にも これと同様のサーバーが あったと思われます

 

 

 

また、恵比寿麦酒博物館では

 

 

祖父が 当時 習ったであろう 「教本」がありました

 

 

 

 

 

 

 

 

この読本の 挿絵にある ドラフトコックは

 

 

昨日 ご紹介した  銀座七丁目ビアホール の ドラフトコック と 同系ですね

 

 

 

 

 

 

 

重富酒店 3代 で 培った 広島の 「生ビール」

 

来年2月 OPEN です。 

 

ご期待ください・・・・・

 

 

 

 

 

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生ビール注ぎ手の名人【海老原氏】にビールを注いでもらう!

ご紹介が遅くなってしまいましたが

 

旨い生ビールで広島を元気にする  為に 

 

この方のビールを どうしても 飲みたかったんです

 

 

 

まずは・・・ この 【動画】を ご覧ください!

 

 

上記の動画で 海老原さんに 注いでいただいた 生ビールが

 

 

 

 

ビールに優しい「一度注ぎ」の海老原さん

 

最後に ヘラ で 余分な泡をカットされていますが・・・・

 

テーブルに運ばれてくる間に・・・・

 

こんもりと「泡」が 盛り上がって ちょうど いい感じに!

 

 

  さすがの「一杯」です

 

この道一筋 45年の ベテランです 

 

 

味わいは・・・・  一言でいうと  「優しい」味わいです

 

炭酸もきつくなく、それでいて爽快感はしっかりとしています。

 

喉越しを・・・「すっ~」と 流れて行く感じが

 

まさに「生ビール」です

 

まず、喉で味わう(喉越し)

 

そして、口の中や、喉の奥からの余韻(香り)を楽しむ

 

そして、その余韻が残っている間に もう一口を流し込む・・・・・

 

 

 

私が来年の2月に OPENさせる 「生ビールスタンド」は

 

管理はさることながら・・・ この 「喉越し」にも 注目した

 

店づくりを考えています。

 

 

ご期待ください!

 

 

 

 

海老原さんは 現役を引退されたにも関わらず

 

「海老原さんのビールが飲みたい」という 熱烈なファンの願いで

 

週に2回程度、ビールを注がれています。

 

 

私が伺った日が・・・ ちょうど 海老原さんの 出社日でした。

 

 

カウンターに出てこられるのが だいたい19時

 

私の乗る、最終の新幹線が 19:50分

 

「一杯」飲んで タクシーに飛び乗れば 大丈夫!

 

 

そこで、支配人に、勝手ながら・・・・カウンターに近い席をお願いしたところ・・・・

 

 

支配人「海老原はもう来ていますから呼びましょう」 と・・・・

 

 

私「えっ!」  そんなことが許されるのだろうか・・・・・ でも 感謝!

 

 

勤務の2時間もまえなのですが、海老原さんは

 

生ビールのチェックのために、出社されていました (さすがです)

 

 

そこで、動画のビールを注いでもらっただけではなく・・・・

 

 

私の席までお越しくださり  すこしお話をさせていただきました。

 

 

 

私の名刺の住所を見て

 

 

海老原さん「私、あなたの会社の近所に住んでましたよ!」

 

私「え・・・いつ頃ですか・・」

 

海老原さん「三越のビアガーデンで、数年ビールを注いでいました」 と

 

 

そうなんです・・・ 広島でも あの名人 海老原さんの 「生ビール」を

 

飲んでいた時期があるんですね・・・・・・

 

 

10分少々の時間でしたが・・・ 私には とても貴重な時間でした。

 

 

 

海老原さん そして 支配人に 心から感謝申し上げます。

 

 

 

銀座ライオンに海老原あり! と言われたように・・・・

 

 

広島にも重富という「生ビールの注ぎ手がいる」 そう 言わせて見せましょう (笑)

 

 

 

 

銀座七丁目ビアホールは 昭和9年に造られ そのまま現存しています。

 

地下にある 1本 1000リットル入りの ビールタンクから

 

 

 

1階にある ドラフトコックに 生ビールが流れて行きます

 

 

 

 

これが 昭和初期の ドラフトコック

 

 

重富が「注ぐ」ドラフトコックは

 

 

 

平成のドラフトコック「四斗平仕様」です・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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