『利他の心』 とは・・ 祖父の背中から何を学び どう歩むか
2013年10月01日 | 11:12 | カテゴリ:未分類
昨日の ブログをご覧になった 方から
「利他の心」 という メッセージを いただきました
どう意味なのだろう・・・
これまでも 何度か 「利他の心」 という メッセージを いただいていましたが
これまでは あまり 気にも とめなかった 自分がいます
なぜ 今回 気になったかと 言いますと・・・・
お客様(お得意先)との 関係を保つ 中において
「断る」 という 行為を 考えることが あったからです・・・・
商売を行うに置いて 相手の望むことを できる限り 実行する
相手の 言われるままに 対応していく・・・
そんな ことを 続けてきましたが
これが 「利他の心」 なのだろうか? と 感じたからです
対処療法 も 必要だと思いますが・・・
喉元過ぎれば・・ で
原因を考えたり 将来を見越して 想像する ことに 欠けていました
「利他の心」
webで 調べてみました・・・
どこを 信じれば よいのか 直感なのですが・・・・
心眼があれば どの 入口からでも 真理に たどり着く みたいな 変な気持ちも あります (苦笑)
佐々木閑 ささき しずか 先生 花園大学教授(インド仏教学) によると・・・
「自利」「利他」という対立する二つの概念があって、 自利とは「自己の利益」を意味し、 一方の利他は「他者の利益」を意味する。
ここまでは 文字から 理解が できる(感じ) なのですが・・・
自己 とは 他者とは・・・ 利益 とは
この 3つの言葉 だけでも・・・
考えると 一生を費やしそうな気がします・・・
利益 これは お金 では ないでしょう・・・
(現象として お金が 見えやすい ことが 多いかもしれませんが)
でも 目の前に 「現象としてのお金」 しか 見えない相手に対して (自分に対して)
その先の 「なにか」 を 伝えることが できるのでしょうか?
いや 「伝わる」 ことを 信じる ことなのでしょうか?? (支離滅裂・・・)
佐々木先生は こう 続けられています
「梵天勧請」は釈迦が、自己中心的人物から、 他者の利益のために行動する人間へと変貌した状況を伝説化して表したものだ。 その、「他者の利益を思う心」を慈悲と呼ぶ
今度は 慈悲 という 言葉が 出てきました・・・
そして こう 続きます
釈迦は「梵天勧請」を境に、慈悲の人となったのである。 では慈悲の心を起こした釈迦はその後、 他者を指導するためにどのような活動をしたのか。
ここが問題だ。
困っている人の苦労を我が身に引き受けて、 代わりに苦しんだのか。
修行したくてもできない人の代わりに、 自分が修行してそのパワーを分けてあげたのか。
釈迦はそういったことはなにもしなかった。
彼がやったのは、
仏教僧団という組織を作り、 そこに入ってきた出家の弟子たちを教育し、 自分が辿ってきたのと同じ道を皆が歩んでいけるように環境を整えた。
それがすべてである。
釈迦は 「この世には、私たちを救済してくれる不可思議な絶対者などいないのだから、 悟りへの道は、私がやったのと同じように、各人が自分で歩むしかない。 私は、その道を最初に歩いた先輩として皆を指導する。 それが私にできる唯一の利他行だ」と考えたのである。
・・・・・・・
親の背中を見て 子どもは育つ と 何度も 書いていますが・・・・
利他の心 とは このこの事なのでしょうか・・・・
祖父の 背中を 感じ取り そこから 「道」 を 学ぶこと・・・
そして 私の「道」を 後輩諸氏に 見せて 歩き続けることが・・・
利他の心 なのかもしれません・・・・
そんなに 簡単に 気がつくようなものではないのかもしれませんが
真理は だれもが 知っている事 そんな 感じを 昔から持っています
感謝
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