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旨い生ビールで「広島」の経済を復活させると信じて行動する酒屋の社長の徒然日記

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  3. 2009年1月

心のウォーミングアップ(3)

 

 

PTA会長をやっていると いろんな仕事が回ってきます。 この年、東区の研究大会の担当校(教育問題委員会・委員長)が 回ってきました。 東区の18校の小中学校から、1名づつ委員が出てこられて委員会を組織します。

 

最初の会議のときに、連絡はメールで行います。 情報交換は携帯サイトで交流したいと思います。 と・・・全員のアドレスを聞き、その後は携帯用のサイトを作り、情報交換していきました。

 

その時のサイトがまだ残っていますのでどうぞ ↓

 

              東区PTA教育問題委員会携帯サイト 

 

研究大会だけを進めるのではなく、なにか他の役にも立てばと・・・いろいろやってみました。 でも、単年度の区P組織で、前年度と 「かわったこと」をすることの弊害も味わうことになります。

 

研究大会の講師の先生を選ぶときに、数人の方の名前があがりました。 そのなかから、「親業」のインストラクターの方にきまりました。

 

初めて「親業」をいう言葉を知りました。あとで思えば「超役得」だったのだと思いますが・・・・ 講師の先生との打ち合わせ。ほとんど電話での連絡となるのですが、一度電話すると、最低でも1時間はかかります。 講演自体の話は、ほんのわずかで・・・あとの大部分は「親業」の個人レッスンとでもいっていいくらいの内容です。 これが、3~4回ありました。おかがで 先生からの講演を、本番前に何度も聞いている事になります。

 

本番数週間前 先生のご自宅まで副委員長2名と一緒に打ち合わせに出かけました。 ここでも先生は、2時間ほど親業についてお話をしてくださいました。お昼になったので そろそろ帰ろうとしたとき 「お昼食べていきなさい」と昼食を3人分出していただき、それから また2時間くらい先生との「親」についての話が続きました。

 

結局 本番の講演の前に 10時間近くも先生のお話を「無料」で聞いたことになります。(役得その1)

 

私自身もかなり強引?だったかもしれませんが、研究大会当日は、担当委員会のメンバーはスタッフとして先生の講演を聞くことができません。 それでは、なんの為の研究大会なんだ! と一人で勝手に考え・・・ 研究大会の事前に、講師の先生のきていただき、スタッフだけに「特別講演会」を実施してもらいました。 少人数でもあり、ロールプレイングも体験することができました。

 

一貫して先生の言われたことは『聴く』  という事でした。 アスク(たずねる)や ヒヤー「聞く」(門構えに耳 耳で聞く)ではなく リッスン「聴く」でした。(耳へんに14の心)

 

 心で「聴く」子ども(保護者)の声(気持ち)を 聴ききりなさい! 聴き切るです。 

 

このとき 親子や人間関係のヒントを少しもらったような気がしました。

 

この講演がきっかけで、講師の先生が主催する「親業訓練一般講座」に入れていただくことができました。(役得その2) 合計8回の講座に、八本松まで出かけていきました。 一緒に参加されていた お母さんのほとんどが 子育てや 夫婦間に「悩みや解決策」を求めておられる感じがしました。 不登校のお子さんやご主人との不仲で子育てがうまくいなかない・・ など親子関係の難しさ、子育ての大変さを思い知ることとなります。

 

講座の最後に先生がこうおっしゃられました。

 

「重富君。あなたはトップになりなさい」 「親業を知っている人が、リーダーになることがとても大切」と・・・・

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心のウォーミングアップ(2)

 

 

このとき、私がPTA会長、妻が副会長という夫婦そろってPTA執行部(本部役員)ということで新年度が始まりました。 (あとで知るのですが、日本中でもお前たち夫婦だけだろう・・・くらい不思議な立場だったようです)ちなみに子どもは1人だけです(苦笑)

 

このときPTAの役員を決めることの大変さを身をもって感じました。 私がPTA会長を引き受けるときの妻との話で、小学校内のことは副会長の妻が、対外的・公式な場面は会長がするという役割分担をきめました。 仕事をしながらのPTA会長が、どれだけ大変かを、このときはじめて実感します。 私は経営者なので、ある程度の時間の融通はききますが・・・それは融通というよりは、自分勝手的な時間の使い方といったほうが従業員的には正しいでしょう。

 

それまでの、子育て、家庭、地域つながりは「妻」の領分と信じて疑わなかった私の環境が『一変』することになります。

 

対外的な部分だけを担ってきましたが、単Pだけではなく、区Pや市Pがあることが判明します。 また、1年後に区の研究大会の担当校であることも知らされます。(会長のなり手がなかったのはこの研究大会も要因の一つでしょうか?)

 

 

学校では、役員会、運営委員会、学校協力者会議、校庭開放委員会、プール開放・・・ 地域では、社会福祉協議会、防犯組合、青少年健全育成連絡協議会、ふれあい推進協議会、公民館運営委員会・・・

 

もっと不定期な会議や突発的な会合があったと思いますが・・・

 

そして知ったのが、子ども会の多くの課題です。 多くの学校(学区)で、PTA役員と子ども会役員の奪い合いというと大げさかもしれませんが・・・PTA活動を休止して、その役員と力を1年間子ども会に集中した方がいいのではないかと本気で思っているほどです。

 

1年が経過し、会長2年目を迎えました。 東区の研究大会の担当校の年です。

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心のウォーミングアップ(1)

 

 

年頭にあたり 心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ってみたいと思います。

 

私がPTAと関わるきっかけとなったのは、丁度6年前の春にさかのぼります。 その頃の私は、仕事人間で、子育て、地域、家庭はなにからなにまで妻の領域と考えていました。 (今思えば、男子厨房に入らず的な家庭環境で育ったので当然と言えば当然なのですが) 土日もほとんど仕事という生活でした。 たまに休みがあると、家族そろって郊外のショッピングセンターで、買い物して、食事して、映画見て、ゲームセンターで遊んで、晩御飯も食べて家に帰る。 そんな休日でした。 町内会の掃除や、運動会など・・自分か参加するものだとはまったく思ってもいませんでした。 妻が家の前で通る人に向かって挨拶しているのをみて「なにしよるん。 恥ずかしいけ・・やめんさいや」と言っていたくらいです。

 

その頃の妻は、子ども会と小学校のPTAに関っていたようですが、興味がないのと、自分には関係のないことだと思い、なにも意識していませんでしたし、子ども会やPTAが、なにをしているのかも関心がありませんでした。

 

そんなある日、たまに家に早く帰ると・・・「どんより」とした空気が家中にただよっています。 っま、なにか嫌なことでもあったのだろう・・・っま、一晩寝たら気分も晴れるだろう~ そんな気軽なきもちでいました。 それが、数日たってもなおる気配がありません。 さすがの私でも「どうしたんや?」と聞いてしまいました。 すると「来年度のPTA会長のなり手がいないんだ」との事。 そっか、それは大変だね。 っま誰かやるでしょう~ なにもお前がそこまで悩まなくても・・・と思い。 そのままにしていました。

 

そんな日が続き、ますます暗い~妻を見ることになります。 なんでお前がそこまで悩むんだ? そこで初めて知りました。 妻は、小学校のPTAで選考委員会の副委員長を任されていて、次年度の執行部を選ぶ役目だったのです。 誰も引き受け手がいないので、悩みに悩み。 自分自身は、次年度の副会長を引き受けてまでも、なんとかしようと頑張っていたようです。 そのことを・・・まったく知らなかったのです。

 

思わず言ってしまった一言。

 

  「俺でも できるんか?」 

 

これが、PTAとの出会いでした。

 

 

 

 

 

 

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謹賀新年

あけましておめでとうございます。

 

昨年は大変お世話になりました。 今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

↑ 不動院の御本尊です。 お正月とすす払いのときにだけ直接拝むことができます。

 

今朝はうっすらと雪で化粧した不動院でした。

 

 

 

 

 

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