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旨い生ビールで「広島」の経済を復活させると信じて行動する酒屋の社長の徒然日記

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  3. 2013年12月

車椅子にてパリへ 学生時代の想いで・・・佐世保コロニー

 

 

 

  私(社長)の デスクを移動させるにあたり・・・

 

  会長の書類の整理をしています・・・

 

 

  いろいろ 懐かしいものも 出てくるのですが・・・

 

 

  こんな ものが 出てきました

 

 

 

 

 

 

  「車椅子にてパリへ」    長崎県立コロニー 亀井裕樹  (当時)

 

 

 

 学生時代 重富は  佐世保ボランティア協会 という 団体に所属して

 

 

 施設訪問活動(長崎県立コロニー・えぼし学園・赤木学園)

 

 そして 在宅障害児(特別支援学校に通学している)子ども達の 子ども会活動・・・

 

 重富は その 子ども会活動 「きのこ班」を 中心に 活動を4年間続けました。

 

 

 その活動の中で 月に1~2回 訪問していた

 

 長崎県立コロニーに 入所されていた 亀井さん

 

 

 亀井さんは 小説や俳句などを かかれる 文学者 でした

 

 

 

 大学3年の時に  学生時代に 一度 海外を見ておけ! と

 

 父が  私と妹を  ヨーロッパに 旅行に行かせてくれました・・・

 

 

 

 

 

 その話を 亀井さんに なんのきなしに お話ししたところ・・

 

 

 亀井氏の 「夢」の 1つが  パリ旅行 だったのです

 

 

 

 

 私の話が 亀井さんに 火を付けてしまったらしく

 

 

 

 

 亀井さんは パリ旅行に 行きたい!

 

 その時の  介助を 頼みたい・・ と   私に  嘆願されました

 

 

 

 

 その当時  車椅子の方との 1泊旅行には 何度も行っていましたし

 

 東京で開催される 「オセロ全国大会」に 

 

 2度 車椅子の青年と 飛行機での2人旅の経験もあります

 

 この時の エピソードは また 機会があるときに・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 そんな経緯も 亀井さんは ご存知だったので 白羽の矢が・・・

 

 

 

 怖いもの知らずの 学生時代の重富でしたので

 

 

 「良いですよ!」  と   気軽に 返事をしてしまいました

 

 

 

 あとて ボランティア仲間に相談したところ・・・

 

 

 

 

 事故や怪我がおきたら どうするんだ?

 

 トラブルで今の施設活動に、支障をきたしたら どうするんだ・・・?

 

 責任問題は????

 

 

 

 

 いろいろ 問題が 出てきました

 

 

 

 

 この 問題は

 

 

 

 ●介助は 重富以外に もう1人 連れて行く

 

 ●施設から直接旅行に行くのではなく、自宅に一端帰省し、そこから出発する

 

 ●事故・怪我の責任は 追求しない・・・

 

 

 なんとか 解決が 付きました

 

 

 

 資金の方ですが・・・

 

 まだまだ その当時 旅行費用は 高額です   3名分となると かなりの 負担です

 

 

 しかし 亀井さんは 自分の貯金と、伯父さんに依頼し  なんとか 工面されました

 

 

 

 重富も 自分たちの 食費くらいは・・ と    24~8時の 深夜のバイトを始めました

 

 

 その時分  時間給 400円 でしたね    (涙)

 

 

 

 

 もう1人の 介助には  元気のよい 若い学生を指名しました

 

 

 っま これが 良かったのか 悪かったのか  (笑)

 

 

 その旅の 珍道中を 含めて  手記にされて 連載されたのが

 

 

 この 写真にある

 

 

 「車椅子にてパリへ」   です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亀井さんは 脳性まひの為 自ら体を動かすことはできません

 

 基本 24時間の 介助が必要です

 

 

 いちばんしんどかったのは・・  夜中の 3回の 体位変換 です

 

 目覚ましを 2時間置きにセットして  ベットの上の亀井さんの体位を変えます・・・

 

 

 同行している 青年Mは 一度寝たら  絶対に 起きません (笑)

 

 

 

 着替え・食事・トイレ   通訳は あまり できませんでしたけど・・・  (苦笑)

 

 

 

 

 連載された 本 すべてが 残っていないので・・・

 

 再度 全文を 読んでみたいな~ と 思います

 

 

 それ以上に

 

 亀井さん の ことが 気がかりです・・・

 

 お元気か どうか・・・?

 

 

 

 

 

 旅行に 出発する前の晩

 

 亀井さんの自宅で  亀井さんの お母様が

 

 誠心誠意の 晩御飯を ご用意してくださいました。

 

 

 吉宗(よしそう)の 茶碗蒸しに蒸しずし・・・

 

 その他にも 食べきれないほど・・・

 

 

 

 

 

 母親の 愛 を 本当に感じました

 

 事故や怪我をせずに 亀井さんを お母さんのもとに お返ししなければと・・・

 

 

 若いながら 感じた 前日でした・・・・

 

 

 

 

 

 

 亀井さんは  旅行から帰って 数年後  施設から 独立され

 

 

 ボランティアさんやヘルパーさんと 1人暮らしを 始められたそうです

 

 

 

 重富が 結婚して 子どもができて  1度だけ

 

 

 長崎に お訪ねしたことがあります

 

 

 

 互いに 年を重ねていましたが

 

 あの当時のように 目が輝いておられました・・・・

 

 

 

 今は どうして おられるのでしょうか・・・

 

 検索で お名前を引いても 現在の様子が わかりません

 

 

 

 お元気で 執筆活動をされてらっしゃれば よいのですが・・・・

 

 

 今度 長崎の 友人に 聞いてみようと思います

 

 

 

 

 

 

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good job!こういう時に使う言葉ですね!バイトのK君

 12月の 師走を迎え・・・

 

 通常の売上が 約 倍になる 12月・・・

 

 

 配達の増強と・・・ 次年度からの 新体制のために

 

 バイト君をお願いしました  24歳   若いですね・・・

 

 

 

 彼の仕事は  昼間は 配達の補助

 

 夕方からは ビールスタンド重富の 補助を してもらっています

 

 

 今月のビールスタンド重富に ご来店になったかた(平日)は

 

 

 隅で 一生懸命 グラスを洗っている青年   彼が バイトの K君 です

 

 

 ビールスタンド重富の ビールが 「旨い!」 のは

 

 彼が 一生懸命 グラスを洗ってくれているからなんです

 

 

 

 割合で言うと   ビールの「旨い」に占める 50%です

 

 

 それほどまでに グラス洗浄は 重要で大切なんです

 

 

 

 さてさて・・・

 

 

 ビールスタンド重富には ちょっと 変わった商品? が さりげなく・・・ 

 

 

 置いてあります

 

 

 

 

 

 

 

 中国醸造さんから 好評発売中の

 

 

    「もみじ饅頭のお酒」 

 

 

 ※1050円で発売中! です   (お酒は二十歳になってから)

 

 

 

 

 よくみると・・・  その 箱 に    「  も み じ  」    が 付いています

 

 

 

 K君に  やるね~  と  感謝の気持ちを伝えました・・・

 

 

 

 

 しかし・・・    営業終わりには・・・

 

 

 

 その もみじ・・  しわしわ になって  小さく縮んで いました・・・

 

 

 ちょっと 残念でしたね・・・

 

 

 

 

 

 そして  翌日も    新しい  もみじの葉が  付いています

 

 

 

 また 営業終わりには  縮んでいるんだろうな~ と 思いながら

 

 

 ビールを注いでいました・・・

 

 

 

 しかし  営業終わり頃になっても   葉は   しゃきっ! と したたです・・・

 

 

 不思議に思い・・   葉を 良く良く眺めて見ました

 

 

 

 何故   縮まないか?  が     わかりました

 

 

 

 

 

 

 

          good job!           

 

 

                です!

 

 

 

 

 

 

 

       ※葉の 裏側に 荷づくりテープで 補強してあります

 

 

 

 

 

 いい仕事するね・・・   K君

 

 

 

 楽しみな青年です

 

 

 

 

 

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ひろしまボランティアフェスティバル  ミニFM放送局・・・

 

 

 事務所の模様替えで・・・

 

 コーナーの「棚」 ・・・  何年も そのままになっていました

 

 片付けをしていると

 

 なにやら 紙袋から  マシン?  が

 

 アンテナもある・・・

 

 

 

 

 

 思いだしました

 

 

 第2回「ひろしまボランティアフェスティバル」の時です

 

 

 いろいろな 障害者団体の方にも ご協力をいただいています

 

 視力障害者の方も 多く いらっしゃいます

 

 

 また 活動している 多くのボランティアさんは

 

 他の コーナーや ステージの様子が わかりません

 

 

 そこで 当時 広島経済大学の 放送部さんに 協力をいただき

 

 

 ひろしまボランティアフェスティバル「ミニFM」を 開局!

 

 

 ラジオを 鳴らして アナウンスや 中継を 実施しました

 

 

 

 

 

 

 

 出力の関係? か・・・

 

 

 会場の 隅々にまで 電波を届けることはできませんでしたけど

 

 

 多少は お楽しみいただけたのではないでしょうか?

 

 

 それと・・・   ネット配信も リアルタイムで実施しました

 

 

 会場に来れない 障害者の方等への 広報です

 

 

 まだ インターネットは 一般には普及していなかったので

 

 パソコン通信を活用して  画像を ネットに 掲載していきました (笑)

 

 

 

 その当時 にしてみれば・・   かなり 進歩的? な フェスティバルだったですかね (笑)

 

 

 

 なにせ 新しいもの好きな 事務局長(重富) でしたので・・・

 

 

 

 

 実は この ひろしまボランティアフェスティバルの 実行委員のメンバーには

 

 

 様々な スペシャリティーが おられました・・・

 

 

 中でも 金庫番を お願いした   T さん

 

 

 いつも 超冷静に 判断を されていました

 

 

 

 会議の中で 必ず T さんから 「質問」が 出ます

 

 

 それは それは・・  厳しい質問が 多かったので

 

 T さんが 「ちょっと いいですか・・・」 の 声を聞くと   背筋が・・・

 

 

 

 冷や汗もので 返答をしたり  皆さんと話しあって

 

 

 その答えを導きだしていました

 

 

 今 思えば T さんの 「質問」は

 

 

 

 フェスティバルが より良いものになるために という 

 

 気持ちから だけ の質問だったように思います

 

 だからこそ 鋭い! 内容だったのかもしれませんね・・・

 

 

 

 

 会議は いつも 19時ころに始まり  21時   たまには 場所を移して

 

 22時 23時なることもありました・・・

 

 

 ご家庭もある T さん 他 実行委員のみなさんには  本当に 感謝です

 

 

 

 

 時は現代   

 

 ビールスタンド重富の お客様から  こんな言葉がありました・・・

 

 

 「つながり祭」  を  ご存知ですか?

 

 「実は、父の遺品を片づけていると・・・重富さんの名前が出てきたんです」 と・・・

 

 

 お名前は・・・?  と  私がお聞きしました

 

 

 すると  青年は  こう  答えました  

 

 

 

 

 

           「   T  です   」

 

 

 

 そうなんです  T さんは 数年前 お亡くなりになられていました

 

 ご葬儀には 参列させていただきました

 

 

 その時 2人の 息子さんが いらっしゃいました

 

 

 実は 2人の 息子さんとは  フェスティバルの開催時期にも

 

 お会いしているのです 

 

 

 たぶん 小学生の 頃だったと思います

 

 

 

 その 少年が・・・   今 青年になって 目の前に立っています

 

 

 

 

 お父さんには 本当に お世話になったんですよ・・・ と

 

 青年に 伝えました

 

 

 

 

 

 

 『ひろしまボランティアフェスティバル   第4回目の 開催は どうなったの?』

 

 天国から   T さんに   「質問」 されている 気がしました・・・

 

 

 

 

 T 君に  Facebook で 友達申請を 送ってくれるように 頼みました

 

 T 君は 快く 承諾してくれました・・・

 

 

 

   ひろしまボランティアフェスティバルの 開催には  やはり  T さんは 欠かせません

 

 T 君に なんらかの形で お手伝いして頂ければと・・ 願っています

 

 

 

 

 

 T さんから 頂いた 様々な 「ご恩」 ・・・・

 

 

 

 T 君に 返していければと 思います

 

 

 

 バラバラになっている その当時の 実行委員の皆さん

 

 探し始めようと思います

 

 

 

 

 背中を押してくれた  T 君   ありがとう!

 

 

 

 

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ひろしまボランティアフェスティバル  おりづる大会から・・・

 

 

 弊社の 事務所の 配置換えを 実施しました

 

 30年くらい 配置が 変わっていなかった事務所を

 

 ごっそり 変更しました (笑)

 

 

 社長のデスクも 金庫室内に 移動しました  (4畳半位の金庫があるんです 弊社・・・・)

 

 

 その時に 資料の中からでてきたファイル類・写真 があります

 

 

 

 

     ※クレド前広場での 開会式の 様子 (第3回)

 

 

 第1回の 開催は・・ 身体障害者スポーツ大会の翌年だと思うので

 

 平成9年の 春 1997年 だったでしょう

 

 

 何故 開催したかと言いますと・・・

 

 

 身体障害者スポーツ大会で 多くの ボランティアさんが 活躍されました

 

 

 では 大会終了後・・ この ボランティアさんは・・・??

 

 

 

 その 「受け皿」 に できないか・・・

 

 

 ボランティアを経験された 多くの方々が 広島で活動している 様々なボランティア団体と 

 

 

            出逢う場 = ひろしまボランティアフェスティバル

 

 

 

 広島市社会福祉協議会 の ボランティアセンター利用者連絡会に 提案し

 

 承認をいただき  始動しました・・・

 

 

 始めてのことで  試行錯誤・・  などというレベルでは なかったですが

 

 

 広島には 障害者の方のイベント 「つながり祭」 が 数年実施されており

 

 その ノウハウを しっかりといただき 実施することができました  感謝

 

 

 

 第1回 第2回 は  ハノーバー庭園周辺で (旧市民球場 北側)

 

 第3回 は  クレドホール & クレド前広場 で 開催・・・

 

 

 でてきた資料は その 第3回 のものです

 

 

 

 

 

 この厚いファイルの中に 資料が ぎっしり・・ です

 

 

 今見ると  よく こんなにも 詳細にプログラムやマニュアルを 作成できたな~ と・・

 

 

 

 写真も 沢山 でてきました

 

 

 その当時は・・・ 35mmフィルム ですね   (笑)

 

 

 

 

 

 

 

 クレド前広場の ステージで  コンサート や

 

 広場を利用して  車椅子体験ラリーや 白杖体験歩行 など・・・

 

 お天気にも恵まれ 多くの方に 参加していただきました

 

 

 

 クレドホールでは

 

 

 

 

 

 ステージで コンサート や 対談 (重富がお話しさせていただきました ^^;)

 

 

 ロビーでは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 様々なボランティア団体の 紹介ブース・・・

 

 

 

 ステージ 2ヶ所

 

 そこには 車椅子の方や 荷物を運びこむ団体など・・・

 

 

 

 マニュアルを見ると  分単位で 荷物の搬入・搬出 など・・・

 

 細かく 細かく 微細に 明記されています

 

 

 

 これ 重富が 作った??   と   半信半疑なのですが

 

 

 たぶん 私が 作ったようです   (笑)     若さですね・・・

 

 

 

 写真を 見返しても   当日のことは あまり よく 

 

 覚えていない 思いだせないのですが・・・

 

 

 

 裏方? で   走り回っていた・・  のだろうと信じます  (笑)

 

 

 

 

 

 写真を見ていて 今 思い出しました・・・

 

 

 

 

 

 

 

 流川の 東新天地公園で  なんと

 

 

           「前夜祭」  も  開催しています・・・・

 

 

 

 

 パワーが ありましたね・・・ 35歳の頃の 私は・・・

 

 

 もちろん 重富の力ではなく  

 

 一緒に 創り上げた 多くの 仲間の力なのですが

 

 

 

 大切な 事 を 思い出した 資料でした

 

 

 そして  同じ日に

 

 その当時の ボランティアさんの 1人から 電話がかかってきました・・・

 

 そして  同じく 同日・・・

 

 Facebook で ある青年と 友達になります・・・      

 

 

 

 つづく・・・

 

 

 

 

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東京・横浜 ビール研修 番外編その6 「うすけぼー」でランチ

 感慨にふけっていると 丁度 お昼前・・・

 

 せっかくなので 懐かしい あの 場所で ランチを 頂くことにしました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 NIKKA本社ビルの 地下にある レストラン・・・

 

 

 昔は ニッカサービス という 旅行社があったところには 青山バル という

 

 お店が出来ていますね・・・・

 

 

 帰省や旅行などで めちゃくちゃ お世話になった ニッカサービスさん (笑)

 

 

 

 階段を トントン と 降りて行くと

 

 

 お店の 入口があります

 

 

 

 

 

 

 パブ うすけぼ   さん

 

 

 

 本社地下に いまでも 営業されていました

 

   うすけぼ  って  どこかで 聞かれた事がありませんか

 

 

 広島にも  ウスケボー という BAR がありますよね

 

 

 うすけぼ の 由来は

 

 

 

 ゲール語で「生命の水」という意味のウシュクベーハー(Uisge-beatha)が語源と言われています。

 

 時代を経るに従い、ウスケボー(Usquebaugh)、Usqua(ウイスカ)、Usky(ウイスキー)と転化し、

 

 今日のWhisky・Whiskeyになったといわれています。

 

 ゲール語を使っていたゲール族とはヨーロッパ中西部に起った古代民族ケルト族のうち、

 

 海を渡ってアイルランドからスコットランド地方へ移住した一部族。

 

 この末裔(まつえい)が現在のスコットランド人やアイルランド人と言われています。

 

 ※サントリーさんの web より

 

 

 日本各地に  ウスケボー という お店があると思います

 

 

 ウイスキーの 語源なんですね・・・

 

 

 

 

 さて  店内に入り・・・

 

 

 営業マン時代 本社ビルにいるときは いつも ここで ランチを食べていました

 

 

 また お客様の 接待等にも このお店を 使っていました

 

 

 奥に VIPルームがあり  東京支店名義の ボトルが・・・ (飲み放題?) だったのです (笑)

 

 

 ※もちろん お客様と ご一緒の時だけですよ・・・   (笑)

 

 

 

 

 このお店に 椅子 です

 

 

 

 

 

 

 背もたれに  NIKKA の 文字が あります

 

 

 

 個室も いくつかあり  いまでも お客様で 賑わっている感じでした

 

 

 

 

 

 日替わりランチを 注文

 

 

 

 

 

 

 この お皿と スープカップ・・   当時と 同じ??

 

 

 

 懐かしい お店で 懐かしい ランチを 頂きました

 

 

 

 うすけぼ 南青山店 → http://r.gnavi.co.jp/gcze401/

 

 

 

 

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